狭山濃

色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす

今から約八百年前に、栄西禅師(臨済宗の開祖)が中国からお茶の種子を持ち帰り、日本で本格的にお茶の栽培が始まりました。
狭山地方に初めてお茶がもたらされたのは、鎌倉時代、京都の高僧明恵上人が「武蔵河越の地」に栽植したのがはじまりのようです。

本格的に産業なったのは、江戸時代、享保二年(1802)頃からで、入間市宮寺の狭山茶最大の功労者である、吉川温恭、村野盛政らによるものです。

当初は、冬の季節風などを防ぐために、畑の境などに植えられ、あくまで自家用として使われていましたが、その後商品として売られるようになると、多くの茶園ができ、産業として盛んになっていきました。
さて、全国には静岡や宇治など多くの有名なお茶の産地がありますが、その中で狭山茶を産する埼玉県は緑茶生産の経済的北限です。

“色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす”
と「狭山茶摘み歌」にも歌われるように、狭山茶の特徴である深い味わいは、寒い冬を乗り越えることでいっそう深まるようです。

さらに、二番茶まで茶葉を、「狭山火入(ひいれ)」と呼ばれる強い火入れ(乾燥させる行程)を行う独特の仕上げ技術が開発され、一度飲んだらクセになると言われる、甘く濃厚なお茶となりました。